松永貞徳
まつなが ていとく
1571〜1653
連歌師・松永永種の子で、戦国の梟雄・松永久秀の孫にあたる。藤原惺窩や里村紹巴らに師事し、豊臣秀吉の右筆を務めた時期もあったという。また古典注釈に携わり、「和句解(わくげ)」という語源研究書も著した。寛永期の歌壇を代表する貞門派俳諧の祖。
曼珠院覚恕
まんじゅいん かくじょ
1571〜1653
比叡山第166世天台座主。正親町天皇の第一皇子で正親町天皇の異母兄。信長の比叡山焼き討ちの際には山上にいなかったが、後に責任を問われて座主を逐われた。和歌にも堪能で多くの歌集を残した。
曲直瀬道三
まなせ どうさん
1507〜1594
本姓は堀部氏。今日の生まれで後に下野足利学校に遊学、同地で知り合った医師田代三喜に医学を学んだ。天下の名医として名高く、天皇・将軍や大名などを数多く診察。京に医塾啓迪(けいてき)院を開設して多くの弟子を教育、自らは医術書「啓迪集」を著した。信長からは名香蘭奢待を拝領したことでも知られる。
木食応其
もくじき おうご
1537〜1608
高野山の僧。興山寺・青厳寺を建立したのをはじめ、多くの寺院の再興に尽力した。秀吉の侵攻時には高野山全山を代表して交渉に当たったが、秀次事件の際には権力の前には彼をかばいきれず、切腹させてしまうことになる。
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