川村重吉
かわむら しげよし
1575〜1648
通称孫兵衛。はじめ毛利輝元に仕えていたが、慶長年間に伊達家に仕える。当初四百石と荒地を賜ったが、これを開いて千石余の地にするなど土工方面に異能ぶりを示し、北上川を分流して石巻港を開くなど水運・水利・新田開発に大きな功績を残した。
菅 正利
かん まさとし
1567〜1625
黒田孝高・長政家臣で黒田二十四将の一人。通称六之助、和泉守。名は政利・忠利とも。朝鮮役にて黒田長政が虎狩りをした際、備前吉次の名刀で飛びかかってきた虎を一刀のもとに切り伏せたという逸話がある。関ヶ原合戦時には丸山に布陣した東軍右翼先鋒黒田長政の下で五十挺の鉄砲隊を率い、同じく鉄炮頭の白石庄兵衛らとともに西軍石田三成勢と激闘を演じた。その際石田方の先鋒左翼に陣した左近隊の横合いに回り込んで銃撃、左近を負傷させたと伝えられる。
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