小浜景隆
おばま かげたか
生没年不詳
もとは伊勢の海賊衆で畠山氏の被官から武田信玄に仕え、武田水軍の船大将となる。武田家滅亡後は徳川家康に仕え、やはり水軍を指揮して活躍した。
小原隆言
おはら たかこと
生没年不詳
大内義隆の家臣で侍大将・先手衆の一人。安芸守を称し伊予・安芸・備後等に出陣、後期には奉行を務めた。陶晴賢の乱で義隆が滅亡すると義長に仕え、後に毛利氏に仕えたという。
飯富虎昌
おぶ とらまさ
1504〜1565
姓は「飫富(おお)」とも書く。世に知られる名将山県昌景の実兄。武田信虎・信玄二代に仕えた武田家筆頭家老の宿老で、信濃佐久郡内山城代を務める。信玄の嫡子義信の傅役を命じられるが、後に謀反事件に加担した罪で連座責任を取らされ切腹した。
小山高朝
おやま たかとも
1508〜1574
結城政朝の子で下野小山氏を継ぐ。小山祇園城主で下野守。同じ下野の名族那須氏の政資・高資父子対立時には子の高資方に加担し、父方の宇都宮氏を二度にわたって破るが上杉謙信の関東進出時にはこれに抗し切れずに降伏した。
小山秀綱
おやま ひでつな
? 〜1602?
高朝の子で下野小山城主、結城晴朝の実兄で小山氏最後の当主。永禄三年以降北条氏康と上杉謙信の間に挟まれ、数度にわたり両家に服従・離反を繰り返した。天正三年、北条氏政に城を奪われて氏照の指揮下に配せられ、このため小田原落城後に秀吉から所領を没収された。
小山田信茂
おやまだ のぶしげ
1539〜1582
甲斐都留郡の土豪で武田氏の重臣、越前守を称す。武田家滅亡時には勝頼を裏切り居城の郡内岩殿山城に誘い孤立させ、勝頼を自刃に追い込んだ。後に織田信忠に謁するも裏切り行為を非難され、堀尾吉晴の手により斬首された。
小山田頼定
おやまだ よりさだ
1525〜1588
筑前守。伊達政宗の家臣。武勇に優れ、大崎の役(中新田の合戦)には軍奉行として出陣。南条下総守の守る敵の本拠・加美郡中新田城を攻めるが降雪のため敗軍となり、殿軍を務めて奮戦したが馬が深田にはまり落馬、追撃に出た城兵に討たれた。
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