三条夫人
さんじょうふじん
1531〜1570
三条公頼(きんより)の娘で武田信玄の正室。義信はじめ五人の子生むが、皆不運に見舞われ次々と早世し、諏訪御寮人の子勝頼が成長するにつれ失意のうちに没した。

寿桂尼
じゅけいに
 ? 〜1568
従一位権大納言・中御門宣胤の娘で今川氏親の妻。今川氏輝・義元の母。大永六年に氏親が没すと落飾して寿桂尼と称した。まだ若い氏輝の後見を務めるが、天文五年に氏輝が没すと太原雪斎らとともに梅岳承芳(義元)の擁立に尽力した。永禄十一年三月十四日没。

常高院
じょうこういん
 ? 〜1633
名は初。浅井長政の次女で淀君の妹、崇源院の姉。京極高次の妻となる。大坂冬の陣の際には家康の使者として淀君を説得、和平を成立させたが夏の陣では逆に淀君から依頼され家康へ豊臣家存続を願い出たが聞き入れられなかった。

諏訪御前
すわごぜん
 ? 〜1554?
諏訪御寮人。諏訪上原城主諏訪頼重の娘で武田信玄の側室、勝頼の母。名は湖衣姫、絶世の美女だったという。天文十一(1542)年、父頼重が武田信玄に滅ぼされた後に信玄の側室となり、同十五年に勝頼をもうけた。没年は天文二十三(1554)年とも弘治元(1555)年とも。

千姫
せんひめ
1597〜1666
天樹院。徳川秀忠の娘で母は崇源院。七歳で豊臣秀頼の妻となる。夏の陣で大坂落城時に救出され本多忠刻に再嫁、姫路に移り住み十万石の化粧料を与えられる。

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