築山殿
つきやまどの
1542〜1579
瀬名姫。今川家の重臣関口親永の娘で、徳川家康の正室。唐人減敬という医者を通じ武田家に内通した罪で長男信康と共に信長から咎めを受け、家康の手により遠江富塚の地で殺害された。

おつやの方
おつやのかた
 ? 〜1575
織田信長の叔母で旧岩村城主遠山景任夫人だったが、武田方の秋山伯耆守信友に攻められて落城し、信友の夫人となる。後に信友が信長に降伏開城したとき信長の激怒に触れて岐阜で処刑された。

伝通院
でんづういん
1528〜1602
於大の方。三河刈屋(谷)城主水野忠政の娘で徳川家康の母。天文十年に松平広忠に嫁ぐが、同十三年に兄水野信元が松平氏と敵対したため離縁。のち久松俊勝に再縁、慶長七年に京都伏見で病没した。

徳姫
とくひめ
1559〜1636
織田信長の娘で母は生駒の方。徳川家康の長男信康に嫁ぐが、夫と姑が武田家に内通との報を信長に送って知らせ、これがもとで両者とも失った。後に兄信雄から秀吉の人質に出され、最終的には京で没した。

虎御前
とらごぜん
 ? 〜1568
越後栖吉城主長尾氏の娘で守護代長尾為景の妻。青岩(厳)院とも。長尾晴景・仙桃院・上杉謙信の母。謙信が仏門に入ったのはこの虎御前の影響が大きいとされる。為景没後の消息は不明だが、春日山城で暮らしたものと思われる。

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