片山久安
かたやま ひさやす
1575〜1650
伯耆守。林崎甚助重信に抜刀術を学び、自ら心貫流(片山伯耆流)を開く。豊臣秀次に召し出されて仕え、その没後は豊臣秀頼の兵法指南役に抜擢された。豊臣家滅亡後は岩国城主吉川広家に仕え、広家の子広正の兵法指南役となった。
鐘捲自斎
かねまき じさい
生没年不詳
名は通家あるいは通宗とも。遠州秋葉の生まれとされ、剣術鐘捲流(外他流とも)の祖。小太刀の名人・富田勢源門下高弟(一説に富田治部左衛門景政門下とも)であったが、やがて中太刀を得意とする鐘捲流を打ち立てて独立。門下に伊東一刀斎景久や佐々木小次郎ら錚々たる剣豪がいる(異説あり)。
上泉信綱
かみいずみ のぶつな
1508〜1582 ☆
上杉家家老の箕輪城主長野業正を助けた上州大胡城主。剣術新陰流の祖として知られ、門下から多数の剣豪流派を輩出し、剣聖と呼ばれた。槍術にも堪能で、上州長野家十六槍の一人としても知られる。長野家滅亡後は武田信玄に招かれたが応ぜず、以後は一介の剣士として生きた。竹刀の発明者。
川崎時盛
かわさき ときもり
生没年不詳
通称は鑰之助(かぎのすけ)。剣術東軍流(東流とも)の祖。一説には東軍流開祖は東軍権僧正という天台僧で、時盛は二代目とも伝えられる。越前朝倉家御用人の子に生まれ、はじめは鞍馬八流の達人であった父に、後に小太刀の名人・富田勢源のもとで剣と槍を学んだという。
北畠具教
きたばたけ とものり
1528〜1576 ☆
多芸御所と呼ばれた伊勢最後の国司。塚原卜伝門下の剣豪大名として名高く、将軍足利義輝とも交わりがあったと伝えられる。後に信長の侵攻に抗しきれず、和睦したものの三男の信孝に家を譲らされ、程なく信長の命で送り込まれた旧家臣達の手により居館の三瀬館において暗殺された。
木村友重
きむら ともしげ
生没年不詳
通称は助九郎。大和柳生家の家臣で柳生宗矩に師事して新陰流を学び、奥義に達したとされる宗矩の筆頭高弟。のち駿河大納言徳川忠長に仕え、続いて紀伊頼宣に仕えた。
草深甚四郎
くさふか じんしろう
生没年不詳
加賀国草深村(現石川県能美郡川北町
生まれの剣豪。一説によると塚原ト伝来遊の際に立ち会い、剣では敗れたが槍では勝ったと伝えられる。その他の事績は不明。
古藤田俊直
ことうだ としなお
生没年不詳
号は唯心(ゆいしん)。元は北条氏政・氏直の家臣で、伊東一刀斎の二番弟子。主家滅亡後は美濃大垣の戸田氏信に仕えた。後に古藤田一刀流(唯心一刀流)の祖となった剣豪武将。
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