望月出雲守
もちづき いずものかみ
生没年不詳
甲賀五十三家中もっとも勢力があった上忍のうちの一つ、近江国甲賀郡竜法師郷に居を構える望月家の当主。出自は信濃国の名族・滋野三家のひとつである望月氏の流れといわれ、煙術を駆使した「甲賀三郎」の名で有名。この望月氏の屋敷跡が現在「甲賀流忍術屋敷」として残っている。
百地丹波守
ももち たんばのかみ
生没年不詳
名は正西(まさあき)とするものもあるが、世襲による呼称と思われ、人物の特定はできない。伊賀竜口と喰代(ほおじろ)にある伊賀上忍三家の一つ百地家の当主で、服部保長が京へ去った後に伊賀国内での実権を握る。天正伊賀の乱の際には軍師的存在として国人衆を指揮し、信長軍に抵抗した。一説に大盗賊石川五右衛門は忍術の達人百地三太夫の弟子とされるが、三太夫がこの百地丹波である事を示す資料はない。
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