山田ノ八右衛門
やまだの はちえもん
生没年不詳
戦国期の伊賀国山田郷のいわゆる下忍。仲間内からは「ハッチョモン」と呼ばれ、普段は伊賀一の宮敢国神社の世話人であったと伝えられる。双忍術など高度な変装術を使うことで知られたという。

山中俊房
やまなか としふさ
1559〜 ?
通称大和守。甲賀五十三家中もっとも勢力があった上忍のうちの一つ山中家の当主。最初は六角義賢、六角氏滅亡後は織田信長に属して諜報活動に従事したとされる。

横谷幸重
よこたに ゆきしげ
生没年不詳
通称左近。もとは上田と沼田の中間地点にある要害・雁ヶ沢城を本拠とする土豪で、真田昌幸・信之二代に仕えた。出浦対馬とともに真田忍者集団の頭領の双璧として並び称される。昌幸の参加したほぼ全ての合戦にその名が見える。

鷲塚佐太夫
わしづか さだゆう
生没年不詳
真田昌幸配下のいわゆる「真田忍者」。一説によると、この佐太夫の子が猿飛佐助だというが、詳しい事績は不明。

割田重勝
わりた しげかつ
 ? 〜1618
下総守。真田昌幸家臣で「吾妻七騎」の一人にも数えられ、忍びの達人と言われた。北条氏が昌幸の沼田城に攻め寄せたとき、敵将松田憲秀から名馬を奪った話などが残されている。大坂の役後盗みを働いたため真田信之家臣出浦盛清の手により討たれたという。

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