年表で見る「厳島の合戦」(1555年10月1日)

【合戦の概略】

主家大内氏を乗っ取り、当主義隆を自害に追い込んだ陶晴賢(すえはるかた)を、毛利元就一流の謀略によって安芸国厳島におびき寄せ、わずか三千の軍勢で陶軍二万五千をうち破った奇襲戦で、「戦国三大奇襲戦」のひとつ(他は河越夜戦と桶狭間の合戦)と言われている戦い。
陶方から潜り込んでいたスパイを逆に利用し、味方をも欺いて厳島に城を築き、さらに元就重臣の桂元澄まで敵方へ内応したと見せかけて、晴賢をおびき出した。嵐の夜、伊予水軍の応援を得て一気に厳島へ攻め寄せ、総大将・晴賢は自刃する。これを機に毛利家は西国の大大名としての地位を確固たるものとしていった。


※年表は合戦前1年間、合戦後3ヶ月間の全国の出来事を表示しています。(日付欄の * 印は閏月)
西暦日付種別内容
1554
天文24
09/29軍事毛利元就が安芸能美島を占領、飯田氏の水軍が付近を警護する。
  10/02合戦島津貴久が、義久・忠平(義弘)らの活躍で祁答院氏の岩剣城を攻め落とす。
  10/04合戦北条氏康が松田憲秀に七千騎を与え、古河公方足利晴氏の下総古河城を攻めさせる。
  10/08事件加賀白山で噴火が起きる。
  10/15合戦龍造寺隆信が少弐時尚を綾部城に攻め、時尚は山浦城へ逃げる。
  10/28文化伯耆大山寺で上棟・遷宮の儀が行われる。
  11/01事件尼子晴久が一族の新宮党尼子国久・誠久父子を殺害する。
  11/07合戦北条氏康が古河公方足利晴氏の下総古河城を落とし、晴氏父子を捕らえて大住郡波多野に幽閉する。
  11/11合戦赤松義祐が安宅冬康の加勢を得て細川晴元の属城明石城を攻める。
  11/20事件肥後の菊池義武が大友義鎮に豊後直入郡木原で誘殺される。享年50歳。
  12/05政治武田信玄が越後上杉方北条高広の内応を祝す。
1555
弘治元
02/07政治相良晴広が『相良氏法度』二十箇条を制定する。
  02/13誕生後の徳川家康の妻妾阿茶局が生まれる。
  03/13政治北条氏康が伊豆の船番匠弥五郎に、船舶建造についての条規を定めて通告する。
  03/19政治伊達晴宗の子総次郎が将軍義輝の偏諱を賜り輝宗を名乗る。
  03/21政治北条氏康が舞々天十郎に移多家(いたか)・声聞師(しょうもじ)の支配権を認める裁決を下す。
  04/08合戦陶方の神領衆が安芸小方・大竹から小船七、八十艘に分乗し毛利方厳島を攻める。
  04/20合戦織田信長が織田信友を守護弑(しい)逆の罪で清洲城に討ち城を奪取、以後の居城とする。
  05/11事件倭寇が朝鮮全羅道を襲撃する。
  05/13軍事陶晴賢が安芸厳島有の浦を焼き討ちする。
  05/14軍事毛利隆元が安芸草津に出陣する。
  06/08軍事毛利元就が、自ら厳島に渡る途中に陶晴賢方の偵察船三艘を撃破する。
  06/26事件織田信長の弟秀孝が馬で一騎駆け中、織田信次の家臣洲賀才蔵の放った矢に当たり落命。
  06/28文化周防山口の教会大道寺で初のミサが執り行われる。
  06/29死去琉球第四代王の尚清王が歿す。享年59歳。
  07/19合戦武田信玄と上杉謙信との間で第2次川中島の戦いが起こる。場所は犀川付近。また、この日越前の朝倉宗滴が再び加賀に侵入する。
  07/23一揆朝倉宗滴が大聖寺などに立て籠もる加賀一向一揆を撃破する。
  08/12死去相良晴広が歿す。享年43歳。
  08/13一揆朝倉宗滴が加賀一向一揆を鷹尾山におびき出しこれを撃破、大勝。
  08/14文化三条西公条・大覚寺義俊・紹巴・宗養らが近江石山寺で連歌を興行する。
  08/21合戦武田信玄が木曾に侵入して木曾義康・義昌父子の福島城を包囲、義康は降伏し開城する。
  08/27合戦石見津和野城を包囲した陶晴賢が長門へ軍を返し、城主吉見正頼は長門徳佐まで追撃する。
  09/08死去朝倉宗滴が越前一乗谷で病歿。享年79歳。
  09/21軍事陶晴賢が大軍を率いて岩国から厳島に渡り塔の岡に本陣を置き、毛利方の宮の城を攻撃する。
  09/23軍事毛利軍の先鋒が安芸地御前(じのごぜ)に、本隊は草津にそれぞれ集結する。
  09/26軍事毛利元就が小早川隆景に伊予水軍の招致を督促させる。
  09/27軍事伊予水軍の参加をあきらめた毛利元就が、全水軍百二十艘を集結させる。一方、陶晴賢方の三浦房清は厳島宮の城の堀を埋め立て、落城寸前に追い込む。
  09/28軍事伊予水軍二百艘が毛利軍救援のため安芸廿日市沖に現れる。
  09/29軍事安芸地御前火立(ほたて)岩に全軍を集めた毛利元就が、合い言葉「勝つ」・「勝つ」を定め隠密渡海と奇襲攻撃の命を下す。
  09/30軍事毛利軍が暴風雨の中をつき、厳島鼓ヶ浦に上陸する。
  10/01合戦【厳島の合戦】
安芸厳島にて毛利軍が暴風雨の中をつき奇襲で陶晴賢を破り、晴賢は島内大江浦で自害。享年35歳。
  10/04合戦厳島彌山(びざん)龍ヶ窟に籠もり抵抗していた陶晴賢の重臣弘中隆兼が討ち取られる。
  10/05軍事毛利元就が厳島を引き上げ、対岸の安芸桜尾城に凱旋帰陣する。
  10/08軍事毛利元就が岩国に軍を進め、防長二国の計略に着手する。
  10/10軍事里見氏家臣の正木大膳亮時茂が千葉に乱入する。
  10/12政治伊達晴宗が紙漉・元山大工らの田銭を免除する。
  10/12死去東福寺住持の臨済僧彭叔守仙が歿す。享年66歳。
  10/13事件斎藤義龍が弟たちを欺くため仮病を装い床につく。
  10/22事件斎藤義龍が仮病を装い弟孫四郎と喜平次を稲葉山城に呼び寄せ謀殺する。
  10/23政治弘治に改元される。
  10/26合戦龍造寺隆信が若村の戦いで同族の鑑兼を破り、鑑兼は降伏する。
  10/28一揆周防伊賀地で百姓が蜂起するが、小早川隆景がこれを鎮圧する。
  *10/10死去今川家の軍師で臨済寺住持の太原雪斎が葉梨長慶寺で歿す。享年60歳。
  *10/15軍事信濃川中島で対峙していた武田信玄と上杉謙信が今川義元の調停で和睦、両者陣を払う。
  *10/29死去茶人で千利休の師である武野紹鴎が歿す。享年54歳。
  11/23政治古河公方足利義氏が上総・常陸・安房宛の吉書を作成する。
  11/26事件織田信長の叔父・信光が那古屋城で家臣の坂井孫八郎に殺害される。享年不詳。
  11/27誕生上杉景勝が長尾政景の次男として越後坂戸城に生まれる。
1556
弘治2
01/06誕生藤堂高虎が生まれる。父は近江浅井氏家臣の源助虎高。

※使用年表: 『戦国詳細年表ver1(1496-1615)』 copyright(c)1999 M.Sakamoto
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