山田有栄(山田昌巌)の墓

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山田有栄(やまだ ありなが)  1578〜1668

薩摩島津氏の重臣。有信の嫡子で大隅福山のち薩摩出水(いずみ)地頭。通称弥九郎、民部少輔。のち昌巌と号した。秀吉の九州攻めの際には人質として秀長のもとに赴く。朝鮮役・唐島海戦・荘内の変などで活躍、関ヶ原では島津豊久とともに義弘の先鋒を務めた。一方で用水溝の開発や特に薩摩武士の育成に力を注ぎ、出水兵児(へこ)の名を広く知らしめた、文武両道に秀でた名将。
写真は鹿児島県出水市の薩州島津家墓所にある有栄の墓で、法名は「昌巌松繁庵主」。ちなみに薩州家墓所は小山になっており、有栄の墓はその頂上に単独墓所として存在する。


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