松平広忠の墓

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松平広忠(まつだいら ひろただ) 1526〜1549

清康の長男で通称次郎三郎、徳川家康の父。父清康の奇禍によりわずか10歳で家督を嗣ぐが内紛が起き、織田氏に内通した松平信定によって岡崎城を追われる。天文六(1537)年に今川氏の庇護を受け岡崎城を回復して以来織田信秀と戦うが、実質的には今川氏の麾下となる。天文十八(1549)年三月、近臣の岩松八弥によって殺された。
写真は岡崎市の大林寺にある広忠の墓で、同市の大樹寺・松応寺・広忠寺・ 法蔵寺にも墓がある。法名は「大樹寺殿贈亜祖応政道幹大居士」。

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