飯沼長資の墓

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飯沼長資(いいぬま ながすけ) 1580〜1600 

織田秀信の家臣で「岐阜四天王」の一人。十郎左衛門長実の子で勘平を称すが、父長実も勘平を称したため小勘平と呼ばれた。関ヶ原の際には織田秀信の先鋒として前哨戦の米野の戦いで活躍、一柳家中の勇士大塚権太夫と一騎討ちを演じこれを討ち取るが、ついには力尽き、池田輝政の弟長吉に討ち取られたとも同家中の森寺長勝に討たれたともいう。
写真は米野古戦場から程近い岐阜県岐南町にある長資の墓で、法名は「隆宗院殿浄誉清頓居士」。

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