黒田孝高の墓

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黒田孝高(くろだ よしたか)  1546〜1604

職隆の子で通称官兵衛、後に如水軒円清と号した。受洗名ドン・シメオンを持つキリシタン大名。播磨国姫路の生まれで初め小寺姓を名乗る。竹中半兵衛亡き後秀吉を補佐した名参謀で、その知謀は秀吉すら恐れたという。信長の重臣荒木村重の謀反時に使者として摂津有岡城に派遣されたが城内の牢獄に幽閉され、後に救出されたもののこれが元で終生足が不自由となった。後に豊前中津十二万石の主となり、関ヶ原の際には在国していたが兵を駆り集めて石垣原で大友義統を撃破した。
写真は福岡市博多区の崇福寺にある孝高の墓で、法名は「龍光院殿如水圓清大居士」。他に京都市北区の大徳寺龍光院にも墓がある。

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