筒井順昭の墓

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筒井順昭(つつい じゅんしょう) 1523〜1550

栄舜坊。順慶の父で興福寺官符衆徒。激動の大和にあって一時窮地に陥った筒井家を盛り返した。その死に際しては南都に住む黙阿弥という名の琴の師匠を自分の身代わりに立てて喪を秘すよう遺言、一族三老らはこれを実行して黙阿弥の用が済んだところで褒美を与えて元の身分に戻したことから「元の黙阿弥」の諺が生まれたという逸話は有名。天文十九年(1550)六月二十日、南都林小路の下館にて病没。享年二十八歳。生駒市上町の圓證寺に墓がある。没年には天文二十年説もある。
写真は奈良県生駒市の圓證寺にある順昭の墓で、中には順昭の遺骨が納められており、国重要文化財に指定されている。

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