上杉景虎の供養碑

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上杉景虎(うえすぎ かげとら) 1552〜1579

相模小田原城主北条氏康の七男で前名は氏秀。はじめ武田信玄の人質となるが、甲相駿三国同盟が破れて帰国後に今度は越相同盟締結により越後に送られ、上杉謙信の養子となり景虎を称す。謙信没後に家中を二分するお家騒動が勃発(御館の乱)、景勝と争い敗れて自刃した。なお、生年は1554年とも言われる。
写真は新潟県新井市の勝福寺にある景虎の供養碑(02年4月建立)で、法名は「徳源院要山浄玄」。

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