鍋島勝茂の墓

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鍋島勝茂(なべしま かつしげ) 1580〜1657

直茂の嫡子で通称伊平太または伊勢松、信濃守を称す。初名は信茂、清茂。朝鮮の役で父直茂と共に活躍、関ヶ原でははじめ西軍に属すが父直茂からの急使で東軍に寝返り、急遽帰国し毛利秀包の筑後久留米城、立花宗茂の同柳川城を攻めた。この戦功と父直茂の取りなしで旧領を安堵され、大坂の役や島原の役へも参陣した。
写真は佐賀市の高伝寺にある勝茂の墓で、同寺には龍造寺氏と鍋島氏の墓が整然と並ぶ。法名は「泰盛院殿澤圓良厚大居士」。

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