武田勝頼の墓

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武田勝頼(たけだ かつより)  1546〜1582

武田信玄の四男で信濃高遠城主のち甲斐新府城主、母は信玄に謀殺された諏訪頼重の娘。幼名四郎、元服後諏訪氏を称すが信玄死去により家督を相続。猛将として知られたが、相次ぐ身内の離反や長篠の敗戦で武田家そのものが弱体化、織田・徳川両軍に攻め込まれ最後に頼った重臣の小山田信茂にも欺かれ、天目山の麓・田野にて妻子と共に自害した。

写真は甲府市の法泉寺にある勝頼の墓で、他に山梨県甲州市の景徳院・京都妙心寺玉鳳院・高野山奥の院 などにも墓がある。法名は「景徳院殿頼山勝公大居士」。

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