木沢長政の墓

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木沢長政(きざわ ながまさ)    ? 〜1542

左京亮、河内飯盛(山)城主。初め畠山義宣の家臣であったが、のち細川高国・晴国・晴元に属す。天文元(1532)年五月、旧主畠山義宣に飯盛城を包囲されるが、細川晴元・本願寺証如の加勢を得てこれを破り、義宣を自刃させた。天文五(1536)年には大和乱入を目論み信貴山に城を構えるが、一部を支配下に置いたものの晴元・三好政長らと対立、同十一年三月十七日に河内太平寺にて戦うが敗れ、戦死した。
写真は大阪府柏原市の安堂・太平寺墓地にある長政の墓で、かつては太平寺の北の外れにある「キソドノ墓」にあったが、ここに移されたという。

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