丸目長恵の墓

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丸目長恵(まるめ ながよし) 1540〜1629

蔵人佐。晩年には徹斎(鉄斎)と号す。肥後相良氏の家臣で16歳の時に大畑合戦で初陣を飾る。本渡城の天草伊豆守より中条流を学び、剣聖・上泉信綱に試合を挑むが敗れて入門、以後新陰流を学ぶ。信綱が将軍足利義輝に兵法を上覧に入れた際には打ち太刀を務めた。のちタイ捨流を興す。刀術のみならず和歌や笛などにも長じていた風流人でもあり、晩年は農耕に従事したという。
写真は熊本県錦町の丸目家墓所にある長恵の墓で、法名は「雲山春龍居士」。

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