福島正則の墓

☆関連人物☆

福島正則(ふくしま まさのり) 1561〜1624 

正信の子。豊臣秀吉麾下筆頭の猛将で、左衛門大夫を称す。「賤ヶ岳七本槍」の一人で、関ヶ原の際には東軍に属し竹鼻城・岐阜城の戦いに活躍、本戦でも先鋒左翼を務め宇喜多勢と激闘を演じた。戦後これらの功により安芸広島四十九万石の大封を拝領。直情家かつ酒好きで失敗も多かったようだが、純な性格は家臣からも慕われ、その軍勢は統制が取れ非常に強かったという。後に幕府より広島城無断修築の罪を問われて信州高井野村に配流、その地で没した。
写真は長野県小布施町の岩松院にある正則廟で、法名は「海福寺殿月翁正印大居士」。他に東京都港区の正覚院、京都市右京区の妙心寺海福院、和歌山県高野山の悉地院、広島市東区の 不動院 にも彼の墓がある。

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