九鬼守隆の墓

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九鬼守隆(くき もりたか)   1573〜1632

嘉隆の嫡子で幼名は孫次郎、従五位下長門守。友隆・光隆ののち守隆を名乗る。慶長二(1597)年に家督を嗣ぎ志摩鳥羽城主となるが、関ヶ原の際には東軍に属し、西軍に加担した父嘉隆と東西に分かれて戦う。戦後加増されて鳥羽五万六千石を領し、盲船や車輪船など独自の発想による軍船などを造るが、もはや九鬼水軍の活躍の場はなく、失意のうちに江戸屋敷で没した。
写真は三重県鳥羽市の常安寺にある守隆の墓で、法名は「松岳院殿前長州太守心月善光大居士」。なお、兵庫県三田市の心月院にも彼の墓がある。

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