長宗我部元親の墓

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長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか) 1539〜1599

国親の子。初名弥三郎、宮内少輔、土佐守。軍政両面に優れた土佐の名将で、分国法「長宗我部元親百箇条」を制定したことで知られる。天正十三年春に念願の四国統一を成し遂げるが、直後に四国へ侵攻してきた秀吉の大軍の前には衆寡敵せず、同年八月に降伏。後は忠実な秀吉傘下の大名となり羽柴姓を許され、また従四位下に叙せられ土佐侍従と呼ばれた。秀吉の九州征伐の際に戸次川合戦で長男信親を亡くしてからは精彩を欠くが、小田原攻めや文禄役にも参陣した。慶長四年五月十九日、京都伏見にて没。享年六十一歳。
写真は高知市の天甫寺山にある元親の墓で、法名は「雪渓恕三大禅定門」。

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