黒田長政の墓

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黒田長政(くろだ ながまさ)  1568〜1623

官兵衛孝高の嫡男で従五位下甲斐守のち従四位下筑後守。松寿丸と呼ばれた幼少期は、信長への人質として長浜で暮らす。このとき荒木村重の謀反が起こり、説得に出向いた父孝高が有岡城に幽閉され、これを疑った信長から処刑の命が下るが、竹中半兵衛の機知により救われたと伝えられる。天正十七年に父孝高の跡を嗣いで豊前中津城主となり、朝鮮役の際には渡海して数々の武功を挙げた。また関ヶ原では東軍に属し活躍、その功により一躍筑前一国52万石の主となった。
写真は福岡市博多区の崇福寺にある長政の墓で、法名は「興雲院殿前大中大夫筑州都督古心道卜大居士」。他に東京都渋谷区の祥雲寺にも墓がある。

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