村井長頼の墓

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村井長頼(むらい ながより)  1543〜1605

長忠の子で通称又兵衛、のち豊後守。はじめ前田利家の兄利久に仕えたが、利久が信長の命により家督を利家に譲ってからは利家に仕えて加賀前田家の重臣となり、金沢町奉行を務め一万石余りを領した。慶長十年十月二十六日、江戸で没した。
写真は金沢市の野田山前田家墓地にある長頼の墓で、法名は「相光院岑月高斎居士」。近くには子の長次の墓もある。

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