森長可の墓

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森 長可(もり ながよし)  1558〜1584 

織田信長の家臣。可成の次男で美濃金山城主。名は長一、可長とも。通称勝蔵、武蔵守。父可成の戦死により十三歳で家督を嗣ぐ。信長の下で伊勢長島・有岡城・高遠城攻めなど各地を転戦して戦功を挙げ、その戦い振りから「鬼武蔵」の異名をとる。武田家滅亡後は北信濃四郡を拝領して海津城主となった。信長の没後は秀吉に従い、長久手合戦で徳川方の一斉射撃に遭い、真額を打ち抜かれて戦死。
写真は津山市の本源寺にある長可の墓で、他に岐阜県兼山町の可成寺と同県可児市の真禅寺にも墓が、また戦死地の愛知県長久手町には武蔵塚がある。法名は「鉄圍秀公大禅定門」。

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