牧野成定の墓

☆関連武将☆

牧野成定(まきの なりさだ)  1525〜1566

今川義元・氏真の家臣で康成の父。氏勝の子で通称は新二郎、右馬允(左馬允とも)・民部丞を称す。三河牛久保二代城主。永禄四年に吉良義昭に属し、徳川家康(当時は松平元康)に対抗して三河西尾城の守将を務めたが吉良家内紛のため牛久保に退く。義元敗死後は氏真の下を離れ家康に仕えた。永禄八年には酒井忠次とともに吉田城を攻略するなど家康の東三河支配に尽力したが翌年十月二十三日に病没した。
写真は愛知県豊川市にある牧野成定廟。これは康成の子・忠成の孫娘で大垣城主戸田釆女正の妻が貞享元年(1684)に建立したものである。

BACK  TOP  HOME