織田信忠の墓

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織田信忠(おだ のぶただ)   1557〜1582

信長の嫡子。従三位左近衛中将。幼名奇妙、通称勘九郎のち秋田城介を称す。天正五年の松永久秀討伐時には信貴山城攻めの総大将を務め、武田勝頼との戦いにおける高遠城攻めの際には陣頭に立って軍団を指揮、城将仁科五郎盛信を討ち取るなど、信長の跡継ぎとして恥じない活躍をした。本能寺の変の際、父の救援を果たせず二条御所で誠仁親王らを落とした後光秀軍と戦うが、あまりにも兵力に差がありすぎ、ついには力尽きて自害した。
写真は京都市上京区の阿弥陀寺にある信忠の墓で、法名は「大雲院殿三品羽林仙巌大居士」。他に京都では大徳寺総見院(北区)、妙心寺玉鳳院(右京区)、大雲院(同)に、また岐阜市の崇福寺、富山県高岡市の瑞龍寺、名古屋市の総見寺、大阪府堺市堺区の南宗寺本源院などにも墓や供養塔がある。

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