陶興房の墓

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陶 興房(すえ おきふさ)   ? 〜1539

弘護の子で通称次郎、中務少輔のち尾張守を称す。生年は不明だが誕生は父弘護の没した文明十四年(1482)以前。大内義興・義隆の重臣で周防守護代を務めた。永正五年には義興に従って上京する一方で安芸・九州へも度々出陣、特に九州では少弐・龍造寺・大友氏と謀略戦を含めて激闘を演じた。のち出家して道鱗(道麒とも)と号す。和歌や連歌にも堪能で、飛鳥井雅俊・宗碩らの公家や連歌師とも交流があった。
写真は山口県周南市の建咲院(けんしょういん)にある興房の墓で、法名は「透麟道麒居士」。他に同市内の 龍文寺 にも一族の墓がある。

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