小野木重勝の墓

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小野木重勝(おのぎ しげかつ)   ? 〜1600

豊臣秀吉家臣で通称清次郎、天正十三年に従五位下縫殿介に叙任。名は重次・公郷・公知などとも記録に見える。妻は島左近の娘。秀吉の下で黄母衣・大母衣衆を務め各地を転戦、戦功により丹波福知山城主となる。関ヶ原の際には西軍に属し、細川幽斎の拠る丹後田辺城を包囲攻撃して開城させるが、西軍の敗戦により撤退。程なく居城福知山城を細川忠興に攻められ開城、井伊直政・前田茂勝を通じて助命を請うが許されず、十一月十八日に丹波亀山城下の浄土寺嘉仙庵(現寿仙院)において自刃。首は京都三条河原に曝されたという。
写真は京都府亀岡市の寿仙院にある重勝の墓。

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