可児才蔵の墓

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可児才蔵(かに さいぞう)   1554〜1613

名は吉長。数家の渡り奉公の末、最終的には福島正則家臣となる。宝蔵院流槍術に長じ、関ヶ原の際には取った首に笹を噛ませ「笹の才蔵」の異名を取る。愛宕権現信仰が強く、自分の予言通りに死を迎えたと伝えられる。
写真は広島市の才蔵寺にある才蔵の墓。ここでは才蔵を、福島正則の参謀を務めた知将として祀っている。

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