真田信綱・昌輝の墓

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真田信綱(さなだ のぶつな)  1537〜1575

武田信玄・勝頼の臣。幸隆の長男で昌幸の長兄。通称源太左衛門、武田二十四将の一人に数えられる勇将で信濃上田城主。青江貞次三尺三寸余の豪刀を揮い、上杉謙信との川中島合戦や北条氏政との伊豆韮山合戦、徳川家康との三方ヶ原合戦を始め、数々の戦いで武功を顕わす。天正二年に父幸隆が没して家督を嗣いだが、翌年長篠合戦において弟の昌輝とともに討死した。

真田昌輝(さなだ まさてる)  1543〜1575

武田信玄・勝頼の臣。幸隆の二男で昌幸のすぐ上の兄。通称徳次郎、兵部丞、兵部少輔。兄信綱とともに信濃上田城を守備した。武田信玄の騎馬大将を務め、信玄の出陣の際には常にそれに従い、「一之先衆七千」の一手を務めたという。長篠合戦の際には佐久間信盛と戦い首級十六を挙げるなど奮闘するが、深手を負い奮闘虚しく兄の信綱とともに討死した。

写真は愛知県新城市の長篠古戦場跡にある信綱と昌輝の合葬墓碑。法名は信綱「信綱寺殿大室空也居士」、昌輝「嶺梅院殿風山良薫大禅定門」。他に長野県真田町の信綱寺と山梨県韮崎市の勝頼神社にも両者の墓や供養塔が、また長野市の長国寺には信綱の墓がある。

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