千姫の墓

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千姫(せんひめ)      1597〜1666

後の天樹院。徳川秀忠の娘で母は崇源院。七歳で豊臣秀頼の妻となる。夏の陣で大坂落城時に救出され本多忠刻に再嫁、姫路に移り住み十万石の化粧料を与えられるが、寛永三(1626)年に忠刻と死別し江戸に帰って髪を下ろし、天樹院と号した。
写真は和歌山県の高野山奥の院にある千姫の墓で、三ツ葉葵がそれとなく威厳を添えている。他に東京都文京区の伝通院、茨城県水海道市の弘経寺などにも彼女の墓がある。

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