諏訪御前の墓

☆関連女性☆

諏訪御前(すわごぜん)    ? 〜1554?

諏訪御寮人。諏訪上原城主諏訪頼重の娘で武田信玄の側室、勝頼の母。名は湖衣姫、絶世の美女だったという。天文十一(1542)年、父頼重が武田信玄に滅ぼされた後に信玄の側室となり、同十五年に勝頼をもうけた。没年は天文二十三(1554)年とも弘治元(1555)年とも。
写真は岡谷市の小坂観音院にある諏訪御前の墓で、他に長野県高遠町の建福寺にも墓がある。法名は「建福寺殿梅光妙香」(建福寺)。

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