森忠政の墓

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森 忠政(もり ただまさ)   1570〜1634

可成の六男で長可・蘭丸らの弟。美作守のち左中将。豊臣秀吉に仕え、羽柴侍従の名を許されて右近大夫忠政を名乗り美濃金山城主となる。秀吉没後は徳川家康に仕え、秀忠に属して真田昌幸籠もる上田城攻めに参戦した。慶長八年二月、それらの功により美作津山城(藩)主となったが、寛永十一年七月、京都大文字屋で食中毒を起こして翌日に宿所の妙顕寺で急逝した。
写真は津山市の本源寺にある忠政の墓で、京都大徳寺三玄院・岐阜県兼山町の可成寺・高野山奥の院にも彼の墓がある。法名は「本源院殿前作州太守先翁宗進大居士」。

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