島津忠将の墓

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島津忠将(しまづ ただまさ)  1520〜1561

忠良の二男で貴久の弟、のちの垂水島津氏の祖。名は政久とも。通称又四郎、右馬頭を称す。天文十七年に大隅清水の本田薫親を攻略、以後清水領主となる。蒲生攻めにも活躍し、同二十三年の脇元の戦いでは鉄炮を使用した記録がある。永禄四年の大隅廻城攻めで戦死。
写真は鹿児島県福山町の戦没地付近にある忠将の供養塔で、子の以久(後の宮崎佐土原藩主)が天正三年に建立と伝える。法名は「心翁大安居士」。

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