水野忠重の墓

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水野忠重(みずの ただしげ)  1541〜1600

忠政の九男で、通称藤十郎、和泉守を称す。初め異母兄信元に従って織田信長に仕えるが、永禄四年以降からは徳川家康に仕える。天正八年に信長から三河刈谷城を与えられるが、小牧・長久手役後に徳川氏の下を離れて豊臣秀吉に仕える。文禄四年に刈谷に復帰して秀吉没後は再び家康に従うが、関ヶ原役の直前に三河池鯉鮒で加賀野井重望に刺殺された。
写真は福山市の賢忠寺にある勝成の墓で、他に東京都港区の常林寺、愛知県刈谷市の楞厳寺にも墓がある。法名は「瑞源院殿勇心賢忠大居士」。

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