本多忠朝の墓

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本多忠朝(ほんだ ただとも)  1582〜1615

忠勝の二男。従五位下出雲守。関ヶ原合戦で初陣を飾り、父忠勝が翌年伊勢桑名へ移封された後の上総大多喜城五万石の主となる。元和元(1615)年の大阪夏の陣では東軍の先鋒を務めて天王寺南口に布陣、毛利勝永勢と戦い銃弾を浴びながらも奮闘し、全身二十箇所以上に傷を受けて壮絶な戦死を遂げた。享年三十四歳。
写真は大阪市天王寺区の一心寺にある忠朝の墓で、法名は「三光院殿岸誉良玄居士」。酒封じの効果があると信じられており、今もなお多くの人々が断酒を誓って願掛けに訪れるという。

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