小早川隆景の墓

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小早川隆景(こばやかわ たかかげ) 1533〜1597 

毛利元就の三男で幼名徳寿丸。備後三原城主で豊臣家五大老の一人、権中納言。天文十三年に竹原小早川家の養子となった後に沼田小早川家も併せて嗣ぎ、両小早川家を一本化した。山陰方面を担当した兄の吉川元春とともに毛利家を支え、山陽方面を任され毛利水軍を統率した。朝鮮の役の際には碧蹄館の戦いにおいて明の大軍を撃破。温和な人柄で、主君輝元や家中の信頼を集めた知勇兼備の名将。
写真は広島県三原市の米山寺小早川家墓所にある隆景の墓で、法名は「隆景寺殿前黄門泰雲紹閑大居士」。整然と二列に並んだ小早川氏歴代の墓の前列右端にある。他に京都市北区の大徳寺黄梅院には夫妻の墓が、山口市の泰雲寺と福岡県宗像市の宗生寺にも供養塔がある。

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