榊原康政の墓

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榊原康政(さかきばら やすまさ)1548〜1606

徳川四天王の一人で、後に上州館林十万石の城主。関ヶ原の後に本多正信・正純親子と対立して次第に遠ざけられ、秀忠付きとなる。小牧の役の際、徹底的に秀吉を蔑みあざけった文言の立て札を立て、それが却って秀吉に感心されたというエピソードを持つ勇将。
写真は高野山奥の院にある康政の墓で、群馬県館林市の善導寺にも彼の墓がある。法名は「養林院前太守職上誉見向大禅定門」。

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