土岐頼芸の墓

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土岐頼芸(とき よりあき)  1502〜1582

美濃守護土岐政房の二男で十一代守護。通称二郎、左京大夫、美濃守。家臣の斎藤道三(当時は西村勘九郎)の力によって兄の政頼(頼純)を追い、家督を嗣ぐことに成功。しかし天正十一年に道三と対立し尾張へ逃れ、一度和睦により帰国を果たすが同二十一年に再度追い出されて流浪。上総万喜城にいた天正十年に稲葉一鉄に迎えられて帰国を果たすが、同年病没した。
写真は岐阜県揖斐川町(旧谷汲村)の法雲寺にある頼芸の墓で、法名は「雲■院殿高嶽宗遁大居士」。(■=「あめかんむり」に「月」)

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