相良義陽の墓

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相良義陽(さがら よしひ)   1544〜1581

肥後八代古麓鷹ヶ峰および人吉城主で、修理大夫を称す。同国八代・芦北・球磨三郡を支配し、一時は日向の一部に勢力を拡げたが北上する島津氏との間に激戦を展開、後に降伏に近い和睦を結び島津方に転じる。その後間もない天正九年十二月、益城(ましき)響ヶ原にて肥後の名将・甲斐宗運と戦って戦死した。
写真は熊本県人吉市の願成寺相良家墓所にある義陽の墓で、法名は「玉井院殿越江蓮芳」のち「柳江院殿越江蓮芳」。他に同県宇城市の響野原古戦場跡に相良塚が、八代市にも首塚がある。

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