島津義久の墓

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島津義久(しまづ よしひさ) 1552〜1611

貴久の子で島津家第十六代当主。通称又三郎、修理大夫のち出家し龍伯と称す。冷静で状況判断力に優れ、元亀三年に日向伊東氏を攻略し薩摩・大隅・日向の三州を統一。次いで肥後の相良氏も降し九州全土を席巻する勢いだったが、秀吉の大軍の前には家の存続を優先、反対する家中を押し切って降伏。関ヶ原の際には優れた外交力を発揮、特例とも言える所領安堵を得た。
写真は鹿児島市の福昌寺跡島津家墓地にある義久の宝篋印塔で、他に鹿児島県国分市の 金剛寺跡 にも分骨墓がある。法名は「貫明存忠庵主(福昌寺)」「妙谷寺殿貫明存忠庵主(金剛寺)」。

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