真田幸村・大助の墓

☆関連武将☆

真田幸村(さなだ ゆきむら)  1567〜1615  

昌幸の子で本名は左衛門佐信繁。大坂夏の陣で赤備えの軍団を率いて家康の本陣に迫り、島津家の士に「真田日本一の兵」と言わせたほどめざましい奮戦をするも、ついには衆寡敵せず力尽き安居天神境内にて戦死。その見事な兵の進退と鬼神のような武勇を敵からも讃えられ、遺品は髪の毛一本に至るまで奪い合いになったという。
写真は長野市の長国寺にある幸村と長男大助の供養碑。幸村の法名は「大光院殿月山伝心大居士」「大光院殿日道光白大居士」「月心院単翁宗伝大居士」など、大助の法名は「頤心院殿直入全孝大居士」。幸村の墓は供養墓や伝承墓も含めて京都竜安寺大珠院を始め長国寺(長野市)・長谷寺(長野県真田町)・田村家墓所(宮城県白石市)・一心院(秋田県大館市)・高野山奥の院(和歌山県)・長野県長門町の個人宅内・鹿児島県頴娃町など全国に多数存在し、その人気の程がわかる。

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