北庵法印と「亀山」(1)

『多聞院日記』の筆者の一人多聞院英俊と親交があったにもかかわらず、唐突に日記に登場する島左近の岳父・北庵法印。同日記を読み込んでいくと、どうもこの人物は中坊氏の一族ではないかと思われるふしが見受けられます。
※本稿は今後の調査研究により加筆または訂正されることがあります。


北庵法印の素性

 北庵法印は島左近の妻「御ちゃちゃ」の父、すなわち左近の岳父である。この人物は『多聞院日記』の著者の一人でその大半を記述した長実房法印英俊と親しかったようで、日記には頻繁に登場する。しかし今まで北庵に関して詳しく触れた文献等はほとんどなく、その人物像は興福寺に属す医者であるということ以外は知られていない。北庵法印は同日記天正十七年十二月廿九日条で以下のように登場(初出)する。

「大門并東林院へ歳暮礼ニ參、歸に北庵法印へ出之處、又是へ被來了、やとへも出了、」

 初出の割には文の内容から見て、どうも北庵法印は多聞院英俊とこの時点で既に親交があったように見えるが、それはさておき「徹底追跡」の稿でも触れた天正十八年五月十七日条の

「北庵法印明日龜山ヘ為見廻越トテ、箱二ツ預ケラレ了、嶋左近ノ内法印ノ娘一段孝行、左近陣立ルスノ間越了、」

に今一度注目してみたところ、興味深い事実が浮かび上がってきた。

 この記述は確かな記録の少ない左近にとって非常に重要なもののひとつで、従来は左近夫妻が当時伊勢亀山に住んでいた可能性を示唆するものとして捉えられていたようである。丹波にも亀山(現亀岡)があるためこの記述だけで断定するわけにはいかないのだが、『奈良県史11 大和武士』にも明言は避けながらもある程度これを有力視しており、併せて当時の伊勢亀山領主・関一政(蒲生氏郷与力)に言及した注釈が加えられている。

 私が注目したのは「箱二ツ預ケラレ了」の部分である。この行動は北庵が泊まりがけで家を空ける際によく見られるもので、留守の間に貴重品等を英俊に預かってもらっていたと見て差し支えないであろう。いわゆる「預物(あずけもの)」と呼ばれる習俗である。
 さて、預けた以上は引き取りに来なければならない。これについては他にも

「北庵法印今日法隆寺へ下トテ、箱二ツ被預了、」 (天正十八年二月六日条)
「北庵法隆寺ヨリ歸トテ箱二ツ取ニ來之間渡了、」 (同二月十日条)

といったように一対で記載されていることもあるのだが、上記「龜山」の場合には後に帰ってきた際に北庵が引き取りに来た記述はない。いや、記述はあるのだが引き取りに来た人物は「北庵」ではないのである。


北庵と中坊治部卿法印

 『多聞院日記』に登場する数多くの人々の中の一人に、中坊治部卿法印なる医師がいる。この人物は天正三年三月廿四日条より同日記に中坊治部卿法眼として登場するが、同十七年十一月に英俊および英俊と親交のあった金勝院光祐(明禅房)の病気を治した功績により、一乗院家より法眼位から法印位に転任(昇進)の沙汰を受けている(同十七年十一月十五日条等)
 彼の年齢は不詳だが天正五年六月廿一日に四歳の子を亡くしている旨の記述があり(同日条)、その医術の師は京の医師・一鴎軒法印(春松院宗庸)なる人物であることが天正十七年十一月朔日条から読み取れる。
 また北庵法印関連の記述に散見される「英俊に箱を預ける」という行動を中坊治部卿法印(当時は法眼位)も行っており(天正十七年十一月三日条)、この頃英俊のかかりつけの医師だったようで、ある程度親しい関係であったことが窺われる。

 以下は天正十八年五月十七日〜六月二十八日までの、北庵と中坊治部卿に関する記述を抜き出したものである。記述中の「中坊法印」「中治法印」とは中坊治部卿法印のことを指す。

「北庵法印明日龜山ヘ為見廻越トテ、箱二ツ預ケラレ了、」 (五月十七日条)
「南左丹波へ越ト云、中坊法印へ状遣之、」 (六月十二日条)
「中坊法印丹波ヨリ昨夕歸了、」 (六月廿六日条)
「中治法印箱二ツ取了、」 (六月廿七日条)
「北庵法印御出、中帋一束持來了、丹後橋立ノ文殊へ參詣様、浦山〃〃、」 (六月廿八日条)

 これらの記述から何が読み取れるかというと、

※「北庵法印」は五月十七日に箱を二つ英俊に預けたが、後に受け取った記述はない。
※「南左」(南左介)が丹波へ行くとのことで、英俊は中坊法印に書状を送った。
※「中坊法印」は六月二十五日の夕刻に丹波から戻った。
※「中治法印」は六月二十七日に箱を二つ受け取ったが、先に箱を預けた記述はない。
※「北庵法印」は丹後天橋立の文殊に参詣し、英俊はそれを羨ましがっている。

 つまり北庵法印と中坊治部卿法印は同一人物と考えて良いのではないかということである。むろんこの記述だけで同一人物視するのはやや早計で、いくつか疑問点も存在する。これについては次稿でその解明を試みるとともに、他にみられる傍証を順に列挙しつつ検討を加えてみたい。

※文責:Masa 2002年8月6日作成(10月12日加筆再編集) 本稿の無断転載及び引用を禁じます。


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