連載開始にあたって

島左近という人物は、その出自・名乗り・事績・終焉など未だに解明されていない数多くの謎があります。ここでは残されたわずかな断片的な記録から、謎多き左近の出自や生涯、特にその筒井氏麾下における事績に出来るだけ迫ってみます。


連載開始にあたって

 今回「徹底追跡!島左近」の連載開始にあたって、まず冒頭にご紹介しておきたい文言がある。これは『日本の歴史00巻 「日本」とは何か』(網野善彦著・講談社刊) において、著者の網野氏が述べておられる言葉である。

「あらためて史料を読み直してみたところ、いかにこれまで自分が不注意だったか、痛感させられた。実際、その関心で史料を見ると、不思議なほどに史料が集まってくるのである。よく史料が少ないということを理由に、それを研究しないことを合理化する研究者がいるが、多くの場合、これは関心がないから、その問題の重要性を認識していないから、史料が集まらない・・・少ないということになるのではなかろうか。それは怠惰以外の何ものでもない」

 研究者の方々には少し耳の痛い言葉かもしれないが、左近の場合もこれに当てはまるとは言えないだろうか。大名ではないにせよ、戦国期の著名武将たる島左近の実像がほとんど見えないというのは寂しい。今年(2001年)は4月に関ヶ原町古戦場に左近の説明板が設置され、5月に考証本が、続いて6月には小説が刊行された。ちょっとした左近ブームかもしれない。そこでこれを機に、「謎」の一言で済まされている感のある左近の実像に少しでも迫ってみようと、無駄を覚悟で何度も現地に足を運び、史資料をコツコツと集めて自分なりに追跡調査してみた。私は歴史学者ではないので、集められる資料などたかが知れている。ところが、実際やってみるもので、次々と注目に値する記録が出てくるのである。

 ただ、核心に触れる部分については参考となる先行論述物がほとんど存在しないため、一つの文を書くにも出来る限り確実な史料によって裏を取らなければならず、正直言って悪戦苦闘しているのもまた事実ではある。
 この稿では、一連の調査によって得られた内容を新たな仮説提起も含め、連載形式により順を追ってご紹介していくことにしたい。なお、この稿のみは「史実の追究」を主目的とし、当サイトの定義する「戦国時代」を超えて述べる必要があることをご了解いただき、加えて左近の調査は現在進行中であり、新たな記録・史資料を見いだした場合には稿中の一部を加筆・変更または削除して修正することがあるので、これもまた予めご了承いただきたい。

 また、この稿の作成にあたり現在もなお多大なご協力を頂いている平群町教育委員会と平群史蹟を守る会(奈良県平群町)、および各種資料のご提供を頂いた春日大社(奈良市)・平成燈籠調査会(同)・大和郡山市教育委員会(大和郡山市)・財団法人柳沢文庫保存会(同)・圓證寺(生駒市)・安堵町歴史民俗資料館(奈良県安堵町)・関ヶ原町歴史民俗資料館(岐阜県関ヶ原町)・滋賀大学経済学部付属史料館(彦根市)・清涼寺(同)・財団法人豊会館又十屋敷(滋賀県豊郷町)・早島町教育委員会(岡山県早島町)・戸川家記念館(同)・久能山東照宮博物館(静岡市)の関係者様各位には、この場を借りて深く御礼を申し述べさせていただく次第である。


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