☆島津豊久の墓@(烏頭坂)☆
島津豊久の墓@(烏頭坂)
【所在地:養老郡上石津町大字牧田字烏頭坂】
やがて西軍の敗勢が定まり、ただ一隊残った島津勢は家康本陣をかすめるようにして突進、伊勢街道(牧田街道)へと脱出を計った。豊久は義弘を逃れさせるために烏頭坂で踏みとどまって奮戦、時間を稼いだ。彼はここで戦死したとも重傷を負ったとも伝えられている。そしてここから南へしばらく行った牧田(まきだ)においても、阿多盛淳が義弘の身代わりとなって戦死し、ついに義弘を無事脱出させることに成功する。写真は烏頭坂にある豊久の墓だが、関ヶ原町役場地域振興課のお話によると、近頃では「豊久の碑」と呼んでいるそうである。

BACK  TOP  NEXT