面白エピソード/名言集

戦国時代の個性派武将たちは実に様々なエピソードや名言を残しました。ここではそれらのうちで、特に興味深いもの・面白いものなどを「名将言行録」より拾い出して選び、ご紹介します。

【毛利元就編】
その1

 世に名高い厳島の合戦のときのことであった。元就は謀略を駆使し、重臣桂元澄をわざと内応させて陶晴賢三万の大軍をを厳島におびき寄せ、暴風雨の中を果敢に夜襲をかけてうち破った。この合戦において忘れてはならないのが河野・村上・来島各水軍の存在である。

 元就と陶晴賢はともに、これらの水軍の大将のもとに船を借りるべく使いを出した。晴賢は特に条件をつけずに申し出たが、元就は「どうか一日だけでよろしいから貸して下され。宮島に渡ったら直ぐにお返しいたします。戦に勝ちさえすれば、もう船など必要なくなるわけですから。ただ宮島に渡る間だけお借りしたい」と言った。
 これを聞いた来島通康は「元就は深く心に期しているところがある。この戦は必ず毛利方が勝つであろう」と言って三百艘の船を貸したという。瀬戸内水軍を味方にした元就は勇躍して夜襲をかけ、猛将陶晴賢は船がないために逃げられず、自害した。


その2

 尼子氏から和睦の使として、大杉抜右衛門という者を使わした。この人物はかつて周囲二尺もある杉を引き抜いたことから、主君経久がこう呼んだという大力の者であった。元就は彼の大力を褒め、「では庭の杉は大木ではないが抜いてみせて下され。大力の程を見たい」と望んだが、大杉は固く断った。

 元就は「それでは、あなたほどではないが、わが方にも力持ちがいるので抜かせてご覧に入れよう」と廻神藤十郎元豊という大力の士を呼び出して、「大杉氏に、その杉を抜いてご覧に入れよ」と命じた。元豊は一抱えほどもある大杉をたやすく抜いて庭に倒した。これを見た大杉は恐れをなした様子で退出した。
 実はこれは元就が敵の肝を奪おうともくろみ、前日のうちにあらかじめその根を切っておいたということであった。


その3

 元就はことさらおべっかを使い、すり寄ってくる者を嫌った。彼の家臣の一人に、学識はあるがおべっか使いの法橋恵斎という者がいたが、彼を評した面白い言葉がある。

 「儒者は頼りにならない。恵斎のような人間はただ本を広く読むだけで、心を戒め慎むと言うことを知らない。わしの美点を持ち上げて油断させるということは、聖賢の世にはあるまじきことである。かえって儒者でありながら真の道を知らないということは恐ろしい。禄を与えればその主君を賢君のように思っておべっかを吐き、また暗愚の主君の言行を書いて、その恥を後世に残す者も少なくない。 聖賢の書を読んだからといって、一概に信じるべきではない