面白エピソード/名言集

戦国時代の個性派武将たちは実に様々なエピソードや名言を残しました。ここではそれらのうちで、特に興味深いもの・面白いものなどを「名将言行録」より拾い出して選び、ご紹介します。

【武田信玄編】
その1

 1561年、信玄は上杉謙信と信州川中島において大激戦を行ったことは有名だが、その3年後のことである。
 ここ11年間の川中島における両家の争いに決着をつけるべく、両家から力士を1名ずつ出して、その勝負により、勝った方が川中島を領することと約束の上、武田方から安馬彦六、上杉方から長谷川与五左衛門という者を出して勝負した。
 二人の力士は組み打ちし、ついに上杉方の長谷川が勝った。武田家の人々は無念がって、千余騎の兵が出撃準備をして今にも討って出ようとしたとき、信玄はこう言った。

 「鬼をもあざむくほどの彦六が、あんな小男に討たれたのは、武運が尽きたのである。前々から、組み打ちの勝負次第で決着をつけると約束した以上、川中島のことは約束通りにしなければいけない。違約は武士として恥じるべき事、君子に二言はない。川中島四郡は今日より上杉家に差し上げよう
 と言って帰陣したという。

その2

 信濃に出陣した、あるときのことである。

 鳩が一羽、信玄本陣の庭先に木の上に舞い降りてきた。皆はこれを見て口々にささやいて喜んだ。信玄がそのわけを尋ねると、「鳩が樹に来るときは、合戦に大勝しないことはありません。縁起の良いことです」と答えた。
 すると信玄は、猟銃ですぐさまその鳩を撃ち落として、みんなの迷信を打ち砕いてしまった。これは、もしそういうことを皆が信じているようでは、合戦時に鳩が来なかった場合、落胆したり不安を感じたり、あるいは敵を恐れる心が生じ、合戦が危機に瀕するようなことになるかもしれないとの配慮からであった


その3

 これはいつも信玄がまわりに言っていたことである。

 「戦に勝つということは、五分を上とし、七分を中とし、十分を下とする

 ある人がこれについて、その理由を信玄に尋ねたところ、
五分の勝ちであれば今後に対して励みの気持ちが生じ、七分の勝ちなら怠り心が生じ、十分つまり完璧に勝ってしまうと、敵を侮り驕(おご)りの気持ちが生まれるからだ」と言ったという。
 だから信玄は常に程々以上を超える勝利は求めなかった。上杉謙信はこれを評し、「いつも自分が信玄に及ばぬ所は実にここである」と言ったという。