戦国筒井氏年表 No.1
永享元(1429)年〜文正元(1466)年
* 印は閏月を示します。
西暦和暦日付事績
1429 永享1 7月 豊田中坊と井戸両氏の争いから、大和国人衆を巻き込んだ大乱(大和永享の乱)となる。箸尾・越智・沢・万歳・秋山氏が豊田中坊方、筒井・十市氏は井戸方。
    8/26 筒井順覚が将軍義教から興福寺領河上五ヶ関務代官職を宛われる。
1430 永享2 2月 幕府が興福寺に命じ勧告を無視した豊田中坊氏を討たせる。
1431 永享3 8月 筒井氏が箸尾城を焼き討ち、対する箸尾氏も蓬莱城を攻め筒井城を包囲。将軍義教は箸尾氏に撤兵を勧告する。
1432 永享4 9月 筒井氏と越智・箸尾氏が合戦、筒井氏敗れる。
1431 永享4 12/3 成身院光宣の訴えにより幕府が越智氏を討伐、越智氏は自焼没落する。
1434 永享6 8/14 筒井氏が越智氏を攻めるが敗れ、筒井順覚は討死する。(※順覚の没年には異説あり)
1435 永享7 3月 筒井順弘が西大寺の僧から還俗して同氏惣領となる。
    4月 順弘が反撃に転じ郡山に出陣、小泉氏は自焼没落する。
    9月 再び光宣の訴えにより、越智方討伐のため幕府軍が大和に下向する。
1437 永享9 5/22 幕府方の畠山・細川・京極軍と越智・箸尾軍が大合戦に及ぶ。
1438 永享10 8月 幕府軍が越智方多武峰を攻撃。多武峰寺は炎上、越智氏は逐電する。
1439 永享11 3月 大和永享の乱が終息する。
1441 嘉吉1 6月 足利義教が赤松満祐に暗殺される。(嘉吉の乱)
1441   10/5 筒井順弘が弟の成身院光宣らに背かれ縁者の立野氏を頼って没落、18日に光宣の弟が還俗して順永を名乗り惣領を嗣ぐ。
1442 嘉吉2 11/1 幕府が筒井氏の河上五ヶ関務代官職を取り上げようとするが、光宣以下の抵抗により不成功に終わる。
    11/11 順弘と光宣・順永が南都で戦う。順弘は敗れて没落、加担した立野・木津父子・狛下司・豊田頼英らも敗退または討死する。
1443 嘉吉3 正月 越智氏の援助を得た順弘が筒井城を回復する。
    2/21 順弘が一族・内衆に背かれ筒井城で殺害される。この内紛により光宣・順永も没落・逐電する。
    9/16 古市胤仙・豊田頼英・小泉重弘と光宣・筒井実憲以下が南都で戦い、筒井方は敗れ光宣は筒井館に退く。幕府の指示により奈良中は大乗院門跡経覚のもとで上記三氏の支配下となり、光宣は罪に問われ河上五ヶ関務は幕府の直轄となる。
1444 文安1 1/23 経覚が十六人の国人に筒井館の攻略を下知する。
※宝来・竜田・古市・小泉・木津・豊田中・十市・箸尾・岡・嶋・片岡・超昇寺・番条・布施・越智(一人欠)
    2/26 越智氏が筒井館を攻撃するが筒井勢の反撃に敗れ、経覚は嵯峨の往生院に逃れる。
    3/13 筒井実憲が古市勢との戦いで自害する。
    6/5 経覚が奈良鬼薗山(きおんやま)に城を築き筒井方に対抗する。
1445 文安2 9/13 筒井順永が鬼薗山城を攻略、経覚以下は自焼没落。成身院光宣は河上五ヶ関務を回復し、経覚は古市城に拠って対抗する。
1453 享徳2 3/12 鬼薗山城の戦いで筒井尊覚が討死する。
1454 享徳3 12/21 前年の古市胤仙の死を契機に経覚方・筒井方の和解の動きが進み、両者が対面する。
1455 康正1 3/25 畠山持国が没す。以後、畠山義就・弥三郎両派による内紛が本格化する。光宣・順永ら筒井党は弥三郎方に加担。
    7/2 義就と弥三郎が戦い、光宣・順永以下弥三郎方が敗れる。
    8/19 箸尾・片岡・筒井以下が義就方に攻め落とされ、光宣は逐電する。
    9/24 鬼薗山城が越智氏の支配下に移る。
1457 長禄1 10/16 幕府より筒井・箸尾両氏の所領が没収され興福寺に寄進される。
1458 長禄2 8/23 鬼薗山城が興福寺衆徒五人の沙汰により破却される。
1459 長禄3 6/1 順永・光宣が許され順永は筒井城を回復、越智氏は引き退く。また畠山弥三郎が没し、光宣の計略により弟の弥二郎政長が跡を嗣ぐ。
    7/1 順永が小泉・龍田氏を攻め、小泉金力丸・龍田英舜らが自害する。
    8/1 順永が番条・万歳氏を攻め両氏は没落、順永は筒井郷を回復し没落から立ち直る。
1460 寛正1 9/20 義就が将軍義政の意に逆らって出仕を停止され、河内嶽山城に籠もる。政長や諸大名が討伐に出陣する。
    *9/12 義就と政長が宇智郡(現五條市)で戦う。
    *9/15 幕府が大和国人衆に義就討伐を命じる。義就方の越智党はこれに反発するが、越智氏は幕命には従う動きを見せる。
    10/10 義就方が政長方の龍田・平群嶋氏の陣所を襲うが敗れる。この戦いには越智氏・片岡氏以外の国人衆が悉く参陣。翌日順永は十市遠清とともに義就を追って河内へ赴く。義就は嶽山城に籠もる。
1463 寛正4 4/15 政長方が嶽山城を攻略、義就は没落して高野山へ入る。
    4/24 幕府、順永・越智家栄・十市遠清に河内若江城を守らせる。
    11月 幕府が義就を赦免するが義就は吉野の奥に留まる。
1464 寛正5 4/15 政長が河内から上洛する。
1466 文正1 8/28 幕府が政長の意向により筒井・十市両氏に義就討伐を命じる。
    10/5 越智・吐田・曽我高田・小泉延定房・高山・万歳・岡氏は義就方へ、筒井・成身院・箸尾・布施・高田氏と多武峰衆は政長方につく。
    10/16 義就方が政長方の布施・高田を攻める。政長方は敗れ筒井氏以下は箸尾城へ逃げ込む。
    12/26 義就が上洛する。

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