戦国筒井氏年表 No.8
天正二(1574)年〜天正五(1577)年
* 印は閏月を示します。
西暦和暦日付事績
1574 天正2 1/2 順慶が岐阜へ赴き、信長の配下に入る。
    1/6 中坊飛騨守が岐阜へ赴く。
    1/11 信長が多聞山城の留守居交替として明智光秀を入れる。
    1/15 順慶が岐阜から戻る。
    2/21 順慶が再び岐阜へ赴く。
    2/29 順慶が岐阜から戻る。
    3/8 順慶が信長上洛に際し高田・岡・箸尾氏以下とともに上京する。
    3/9 柴田勝家が明智光秀と交代して多聞山城に入る。
    3/10 柴田勝家が寺門に「奈良中の成敗」を命じる。
    3/12 高田・岡・箸尾氏らが信長からの人質要求に難渋、奈良へ戻る。
    3/13 順慶が信長を迎えるため上洛する。
    3/23 順慶の後室らが信長への人質として上洛する。
    3/27 信長が三千の兵を率いて多聞山城へ入る。
    3/27 信長が東大寺の名香蘭奢待を拝領する。
    4/11 順慶が信長の命で河内高屋城攻めに出陣する。
    5/15 順慶が信長を迎えるため上洛する。
    7/18 超昇寺氏が一揆を企て、箸尾為綱が筒井方の額田へ出兵する。
    7/22 順慶が十市常陸介との盟約を再確認する。
    11/13 信長勢が岡周辺を焼く。
    12/24 久秀が落髪して道意と号す。
1575 天正3 3/23 信長が山城守護の原田直政に大和守護を兼任させる。
    4/27 信長が十市郷を三分割し、原田直政・久秀・十市氏に与える。
    5/17 筒井より鉄砲衆五十余を岐阜へ合力に派遣する。
    7/25 十市遠成の娘「おなへ」と久通が竜王山城で祝言をあげる。
    11/13 久通が十市常陸介を十市平城に攻める。
    12/28 久通が楊本城を落とす。
1576 天正4 2/26 久通が森屋城を奪う。
    3/5 久通が十市平城を攻める。
    3/21 原田直政が十市平城を接収、十市常陸介は河内へ移る。
    5/3 織田軍と本願寺が摂津天王寺で激戦、原田直政が戦死する。
    5/10 筒井順慶が信長から大和の支配を認められる。
    6/6 織田信雄が奈良ヘ来るとのことで、筒井より代官衆が出迎えの準備に奈良へ上る。
1577 天正5 8/17 久秀が信長に背き、突如摂津天王寺の付城を引き払って信貴山城に立て籠もる。
    10/1 明智光秀らが久秀方海老名弾正の拠る片岡城を攻め落とす。金吾は楊本城で自害。
    10/10 織田信忠が松永久秀を信貴山城に攻め滅ぼす。久秀は城を焼き久通共々自刃。享年68歳。
    10/14 順慶が上洛する。

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